中畑・古里遺跡 弥生時代中期末の大型建物遺構等の保存に関する協議の結果について

更新日:2026年10月02日

大型掘立柱建物遺構の主要部分と門柱遺構を、現地にて地下保存します。

野洲市教育委員会では、令和7年12月から当該遺跡の発掘調査を進め、(公財)滋賀県文化財保護協会が担当した調査区で検出した弥生時代中期末の大型建物遺構と門柱遺構について、開発事業者である株式会社カインズ(以下、開発事業者)と遺構の保存に関する協議を行ってまいりました。この程、両者合意のもと、協議の結果と現地遺構の取り扱いが定まりましたので、以下のとおり公表します。

大型建物跡と三上山

 

1.発掘調査の経緯・概要

今回の発掘調査は、大型店舗出店計画に先立つものです。令和7年9月から10月にかけて実施した試掘調査の結果を受けて、令和7年12月から令和8年8月までの調査期間で、開発事業者による調査費用負担のもと、本発掘調査を実施しました。

令和8年4月から5月にかけて、大型掘立柱建物の遺構の存在が明らかとなり、遺構の一部掘り下げの結果、弥生時代中期末~後期初頭の年代が推定されました。また、同調査区内では、同年6月から7月にかけて、大型建物遺構と同じ「斜路」構造をもつ一対2基の大型柱穴の存在も明らかになりました。当該遺構の掘り下げ当初は性格が不明でしたが、残存埋土の土層堆積状況や柱穴底部の形状確認と出土遺物の検証を行い、学識経験者の見解を踏まえて7月末の段階で、同遺構を大型建物遺構と同時期の門柱(大柱)遺構であると結論付けました。

大型建物遺構の存在が明らかになって以降、現地ではあらゆる関連分野の学識経験者の方に遺構を実見いただきました。その結果も踏まえ、野洲市教育委員会は一連の検出遺構に国史跡と同等の歴史的価値と重要性を見出し、同年5月下旬から開発事業者と遺構保存に関する協議を始めました。

 

2.市教育委員会からの保存要望について

令和8年5月下旬から、主には対面にて5回の協議を行いました。その過程で、第2回目の協議にて、市教育委員会から開発事業者に対し、大型建物遺構の現地保存に関する要望書を送付(手渡し)しています。その内容は遺構の重要性と地権者の意向や開発事業者側の状況を踏まえたものであり、主として二つの要点に集約されます。

1.大型掘立柱建物遺構の現地保存

同遺構の建物としての範囲もしくは個々の柱穴を保護し、計画建物の基礎施工によって破壊されずに地下保存されること。

2.開発計画の竣工・オープン後を見据えた調査成果の活用策

今回検出した遺構を広く市民に知ってもらうため、解説サインの設置や遺構の地表面あるいは床面表示などを行うこと。

ここでいう遺構の「保存」とは、検出した遺構を保護砂によって埋め戻し、直後の開発行為によって破壊されない状態を維持していくことを言います。調査の過程で、遺構の埋土を完全に掘り切ってしまうのではなく、遺構の機能時期や廃絶時期の情報をもつ埋土ごと埋め戻して後世に残すこともあります。例えば国史跡に指定されている遺跡の遺構も、このような方法によって保護措置が取られている場合が主流です。このようにすれば、後世のある時期において、その段階で発達した技術による再調査を行い、また新たな知見を得ることも可能となります。

今回のケースでは、これらの遺構が地下で保存されるのであれば、地表(地上)の状況については内容を問うことはしておりません。

 

3.保存協議の結果―遺構の部分的保存―

市教育委員会からの要望に対する開発事業者からの回答を令和8年8月24日に受理しました。協議の結果、大型建物遺構については、16基ある柱穴のうち、建物の全体規模を認識するうえで主要な9基の柱穴が現地で保存されることになりました。

一方、門柱(大柱)遺構については、一対をなす2基の大型柱穴が全て保存されることになりました。

具体的には以下の遺構平面図をご参照ください。

また、開発計画は当初の通り進められることになり、検出遺構の直上には店舗建物が当初計画どおり建設されます。ただし、検出遺構直上の位置近辺において、2‐2で挙げた調査成果の活用策について具体的に検討いただけることになりました。

保存遺構平面図

4.保存協議過程

市教育委員会と開発事業者とは、3.の結果が導き出されるまで、先にも述べたとおり対面で5回の検討協議を行い、そのほかにも電話やメールにて交渉を重ねてまいりました。

主な対面協議は以下のとおりです。

・令和8年5月27日 第1回保存協議 開発事業者に対する保存の依頼。

・令和8年6月22日 第2回保存協議 市教育委員会から開発事業者へ要望書を手渡し。

・令和8年7月16日 第3回保存協議 開発事業者と保存方策の検討。

・令和8年7月23日 第4回保存協議 開発事業者と保存方策の検討。

・令和8年7月29日 第5回保存協議 開発事業者から保存方策概要の提示。

     ・令和8年8月24日 開発事業者から要望書に対する回答書を受理。

 

調査地位置図

↑調査地位置図

5.結果(遺構の部分的保存)に至る背景と要因

・協議当初の流れとしては、まず6月6に開催した一般向け現地説明会の前後に、検出遺構の重要性を説明し、遺構の現地保存を要望しました。

・大型建物遺構などを検出した調査区は、計画建物の柱基礎の密度が高く、全域が遺構の全損を前提とした本発掘調査として着手した経緯があります。

・協議当初は、開発事業者としては遺構保存の要望依頼には応じられないとの意向でした。ただし、その後に保存への御協力をいただいたように、今回発見となった遺跡の重要性、歴史的価値にはご理解をいただきました。

・その後の協議において、市教育委員会との史跡整備や遺構保存の類例説明を通じて、開発事業者には現地の遺構保存を社内検討いただけることとなり、さらに協議を重ねていった結果、今回の遺構保存の方策が導き出されました。

・大型建物遺構についてはすべての柱穴を保存することはできませんでしたが、開発事業者には建物基礎構造の大幅な設計変更に応じていただきました。その結果、当初は調査区内の全ての遺構が建設工事による影響を受ける状態(全損)であったものが、門柱(大柱)遺構の完全保存、大型建物遺構の部分的保存という結果に繋がりました。

・各地で大地震が多発している昨今において、建物の安全性を確保する必要があることから、建物の基礎構造設計変更には限界も存在しました。計画範囲において、大型建物遺構の柱穴が全部保存に至らなかった要因の一つです。

・協議の中では建物の建設位置自体の変更も、当然俎上に上げています。開発事業者の主張としては、計画地は面積の広い敷地である一方、同時に建物・施設等のレイアウトパーツの面積も単位が大きいこと。国道8号バイパスからの接続や北側・西側に隣接する住宅地への配慮などの外的要因を考慮すると、計画建物の配置変更の選択肢は限定されるとの説明がありました。

・前項の事情に加え、計画地南西側には妙光寺塚越古墳が存在します。現状の直径約20mの墳丘が現存する古墳時代後期の首長墓ですが、調査着手前から市教育委員会は開発事業者に対して古墳の保存を要望し、開発事業者には緑地としての保存に協力いただいておりました。この古墳が存在する近辺には建物や施設の配置が不可能であり、駐車場としても利用できないという状態が、建物計画位置の変更を困難にしている大きな要因となっています。

 

6.保存協議にあたっての市教育委員会のスタンスと今後の取り組み

この種の遺構保存協議は、文化財保護行政上も地元市町が主体となって進めていくものです。市教育委員会が行う保存協議はあくまで依頼や要望の立場であり、法的な力を背景にするものではありません。一方、地元市町の教育委員会が行う依頼・要望に対し、開発事業者側に応じていただけるか否かは開発事業の業態によっても大きく左右されると考えられます。

先にも触れましたように、今回開発事業者としては、当初は保存要望には応じていただけないスタンスでありました。着工予定時期まで期間も短い状況の中で、開発事業者側との信頼関係を構築して一定の成果を挙げるためには、市側でも検討や合意形成に時間を要する用地公有化を伴う保存措置を講ずるよりは、開発事業者側にも対応可能と思われる方策を予め提示し、早期に具体的な保存協議を始めることが得策であると考えた次第です。

こうした考えに基づいて協議を進めた結果、大型建物遺構については、最終的に部分的な保存方策を取ることになりました。大型建物を構成するひとつひとつの柱穴の埋土には、建物建築時や解体時廃絶時の情報が含まれており、平面規模の大きな遺構において、一つでも多くの柱穴を保存につなげることが、今後の短期長期両方の活用策を見据えた上でも重要であると判断しました。

最後に、開発事業者には、今回の調査成果の現地での事後活用策にも継続して協議いただけることになりました。市教育委員会としましても、歴史民俗博物館や図書館での展示や地域での講座開催、関連資料の整備などを積極的に進め、今後も当遺跡の周知・情報発信に努めてまいります。

 

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