郷土の偉人

更新日:2025年02月28日

  • 本校の子どもたちは、総合的な学習の時間を中心に、近江国天保一揆の指導者である「土川平兵衛」について学びます。
  • 尊い命をかけて幕府勘定方(見分役)の不正をただし、村人の生活を守り抜いた「土川平兵衛」は郷土の偉人であり、人道と正義を貫いた彼の生き方は私たちの誇りです。
教室で、沢山の貼り紙が貼られている黒板を女性が指で指し示しているのを、児童が見ている写真

土川平兵衛(1801年~1843年)

江戸時代後期の野洲郡三上村の庄屋、野洲・甲賀・栗太3郡の村人による近江国天保一揆(三上騒動)の第一指導者(発頭人)

1842年(天保13年)、各地で村人が飢饉にあえぐ中、幕府財政の再興をめざす老中水野忠邦の命を受けた勘定方は、近江国の新開場見分に着手しました。見分による年貢負担の増大は、3郡の村人にとってまさに死活問題でした。さらに、新開場見分とは名ばかりで、5尺8寸の間竿をして6尺1分と偽るなど、不正な手段による古田(本田)再検地を謀るものであったことから、村人は見分中止を求めて強訴しました。この一揆にあたって平兵衛は、発頭人として3郡の庄屋の意見を調整するとともに、収賄をはじめ不正にまみれる見分役市野茂三郎たちから、野洲川筋見分を十万日日延べとする証文を得るに至りました。しかし、数万人に上る一揆勢が解散するや、平兵衛をはじめ一揆の指導者は悉く捕縛され、幕府による厳しい取り調べを受けました。平兵衛は、一揆の翌年4月、檻送先の江戸小伝馬町で獄死しました。

正義を貫き、尊い命を賭して一揆を成し遂げた天保義民、中でも第一指導者の土川平兵衛の生き方は郷土の誇りです。

土川平兵衛の石像

1941年(昭和16年)1月、土川平兵衛の功績と遺徳を偲ぶ人たちにより、当時の三上小学校校庭に建立されました。

今も本校の玄関に屹立して、子どもたちの活躍を見守っています。

屋外で、大きな建物が建つ前に建てられている、小袖の着物を着た土川平兵衛の石像の写真

近江国天保一揆関係略年表

近江国天保一揆関係略年表
出来事
1591年(天正19年) 太閤検地完了
1607年(慶長7年) 家康による検地(古検)
1677年(延宝5年) 幕府領総検地(新検)
1801年(享和元年) 土川平兵衛誕生
1827年(文政10年) 土川平兵衛、庄屋職に就く
1833年(天保4年) 各地で大飢饉が発生
1836年(天保7年) 風水害による凶作により、飢饉激化
1837年(天保8年) 大塩平八郎の乱
1841年(天保12年) 11月、新開場見分御用が告げられる
1842年(天保13年)
  • 1月、仁保川筋の見分開始
  • 9月26日、野洲、甲賀、栗太3郡で、見分に抗うため庄屋会議を開く
  • 10月11日、見分役が三上村に入る
  • 10月14日、矢川神社に一揆勢が集まり始める
  • 10月15日、一揆勢が大挙して横田川原に集結し、三上村をうかがう
  • 10月16日、一揆勢が三上村に入る 土川平兵衛をはじめ一揆の指導者らが見分中止を要求し、市野茂三郎ら見分役から十万日日延べの証文を得る
  • 10月22日、翌23日にかけて、一揆の指導者らが多数捕らえられる
  • 12月、大津代官所で取り調べ開始
1843年(天保14年)
  • 3月、土川平兵衛をはじめ一揆の指導者11名が江戸へ檻送
  • 4月25日、土川平兵衛獄死

先人の生き方に学ぶ-三上の誇り-

本校6年生は、総合的な学習の時間を通じて、近江国天保一揆の指導者である『「土川平兵衛」の生き方』について深く学びます

「土川平兵衛」は江戸末期天保の時代に尊い命をかけて幕府勘定方(見分役)の不正をただし、村人の生活を守り抜いた郷土の偉人であり、人道と正義を貫いた彼の生き方は三上の誇りです

本日、令和6年10月15日(火曜日)には、6年生全27名、校長、担任が天保義民祭に参列しました

子どもたちは、義民碑の前で黙祷した後、続いて述べられた式辞や祝辞に聞き入りながら郷土の偉人の生き方について改めて考えることができました

さらに、土川平兵衛をはじめ天保義民への思いを込めて献花台に菊花を供えました

私を含め参列者一同にとって、先人の遺徳を偲びつつ自らの生き方を静かに振り返る機会となりました

三上っ子には、義民の生き方を学び、その心を受け継いでいってほしいと考えています。

枯草の様子を見ている大勢の児童の写真

6年生感想の一部

  • 『6年生全員で、天保義民碑に感謝の気持ちをこめて花をお供えし、お礼をすることができてよかったです。』
  • 『今、穏やかな自然に囲まれて平和な三上があるのは土川平兵衛さんたち天保義民の命をかけた行いのおかげだということが、今回義民祭に参加してわかりました。』
  • 『土川平兵衛さんたち義民の「ふるさとの人たちを守り、正義を貫いた生き方」を私たちが次の世代に伝えていくことがとても大切なことだと思いました。』

令和6年10月15日

木を束ねた大きな束を支えている写真

郷土の偉人に学ぶ

6年生は、総合的な学習の時間で「土川平兵衛の生き方」について学んできました。平成30年10月12日(金曜日)には、地域の方を講師に招いてフィールドワークをしながら、さらに深く学びました。そして、10月15日(月曜日)、三上小学校から6年生36名と教員2名が天保義民祭に参列しました。子どもたちは、今まで学習してきたことを振り返りながら、式典で述べられた式辞や祝辞に聞き入るとともに、黙祷や献花を行いました。子どもたちには、義民の生き方を学び、その心を受け継いでいってほしいと考えています。

6年生の感想から

  • 天保義民祭に参加して、前よりも土川平兵衛さんについて考えることができました。献花をするとき、未来にもしっかり義民祭を伝えていこうと思いました。そして、土川平兵衛さんのように正しいことをしようと思いました。
  • 今日、義民祭に参加し、もくとうや献花をして改めて本当にすごい人なんだなあと実感しました。なぜなら、約200年近くにもなるのに、今でも義民祭が行われているからです。この義民祭を私たちだけでなく、たくさんの人に知ってもらい、受けついでいきたいです。
林の中で、小さな建造物を囲んで、児童が椅子に座り大人が立っている写真
林の中にある小さな建造物の横で、女性の児童が、献花がされた白いテーブルに向かってお辞儀をしている写真

生き方を考える

天保一揆から175年目の平成29年10月15日(日曜日)、時折小雨が降る中、天保義民祭が行われました。本校からは、休日にもかかわらず参列を希望する三上っ子、保護者及び教職員28名が義民碑の前に集まりました。しばらくは私語に興じていた子どもたちも、式典が始まると恭しく黙祷・献花を行うことができました。参列者一同にとって、土川平兵衛をはじめ天保義民の遺徳を偲びつつ自らの生き方を静かに振り返る機会となりました。

  • 「義民祭に初めて来ました。お話を聞いて、平兵衛さんのすばらしさが少し分かりました。6年生になったら、くわしく勉強したいと思います」(5年・Y)
  • 「花を供えるとき、天保義民への尊敬と感謝の気持ちをこめて深くお礼をしました。平兵衛さんのように、正しいことを貫ける人になりたいと思います」(6年・S)
大きな石像が建っている林の中で、白いテーブルを前に3人の男女が、献花やお辞儀をしている写真

本当の勇気

三上っ子は、第6学年2学期の総合的な学習の時間を通じて、「土川平兵衛の生き方」について深く学びます。平成28年10月15日(土曜日)には、秋晴れの下、6年生を中心に本校から31名が天保義民祭に希望して参列しました。子どもたちは、義民碑の前で黙祷した後、続いて述べられた式辞や祝辞に聞き入りながら郷土の偉人の生き方について改めて考えることができました。さらに、土川平兵衛をはじめ天保義民への思いを込めて献花台に菊を供えました。

  • 「平兵衛さんについて勉強し、義民祭に来たことで、本当の勇気とは何か考えることができました。ふるさとの人たちを守り、正義を貫いた生き方を受け継いでいきたいと思います」(6年・A)
  • 「感謝の気持ちをこめて花をお供えし、お礼をしました。私も平兵衛さんのように、人の役に立てるような生き方をしたいと思います」(6年・M)
献花がされている白いテーブルの前で、数人の大人が見守る中、2人の児童がお辞儀をしている写真

この記事に関するお問い合わせ先

三上小学校
〒520-2323 野洲市三上111番地
電話番号 077-587-0049
ファクス 077-587-2245